日々と考えごと。

日々、殴り書き

4月8日

退屈は人によく考え事をさせるらしい。考えれば考えるほどその考えが正しいものだと錯覚してしてしまうものだ、と何かで読んだことがある。なのにおかしい。自分の考え事は考えても考えても正しいと思える答えが出ない。考えの質が悪いのか。

かつて頂上戦争でドフラミンゴが言ったように、正義か悪かなんてないのかもしれない。残った方が正義だと思われるだけなのかも。正しさも同じところにある気がする。正しいと信じさせること、が正しさの本質なのではないかと思うようになった。

 

退屈な1日だった。そう、今日も。いつものように映画をいくつか見た。最近この生活が続き過ぎて疲れてきた。こんな生活でも疲れは出るみたい。少し調子が悪いなと思って眠った。人生ほどじゃないけど。

思い立ってコナンの漫画でも読み返す。たいていの話は2度目か3度目?くらいなので登場人物が出てきた時点で犯人がわかる。これぞ名探偵。それでも面白いな。

しろさんから連絡が来てZOOMに登録をした。その後4人でミーティングを使った。いまやオンラインで誰にでも会える。便利な時代だ。本当にくだらない話を3時間ばかりして、寝た。生活はくだらないの中にあると思う。

やはり面と向かって会いたいと思う。理由なんてわからない。感覚の問題だ。信じてるものが感覚だから。故に就活は本当にしんどかった。なんでこんなに理由や論理を求められるのだろう、とずっと思ってた。これに対応できる人はこれを機に変わってしまうのだろうなと思ったんだ。だからこそ会えなくなった人がいる。

感覚と価値観、これが合わなくなってしまった。誰と、ということに言及したいわけじゃない。一般的に、と言っておきたい。賞味期限が来てしまったような感覚だ。

 

最近よく考える。会えなくなってしまった人のこと。会わなくなってしまった人のこと。どこでなにをしてるんだろう。たしかに、インスタグラムの投稿やツイッターを見れば表面を撫でる程度にはわかる気がする。でもなにもわからない。表面を撫でるのが好きなのは大人だ。子どもの自分にはよくわからない。

傷つけてしまったあの子はなにしてるかな。酷い言葉を言い放ってきたあいつはどうなったのかな。まあ前者の方がよっぽど気になるけど。うまくやってるといいな。

星の数ほどいる会えない人のことを考えると、数少ない会ってくれる人のことが薄れてしまいがちだ。いまは気づいているから大切にしようと思える。うん、そんな感じ。

 

一応毎日書けてる。伝えたいことなんてない。書きたいだけだ。またあした。