日々と考えごと。

日々、殴り書き

THE LAST LIVE

 

世界が終わる日の夜はこんな感じなのかな、と思った。

大袈裟かもしれないけど、自分の好きなものが終わるということは自分が少しだけ死んでいくのと同じだ。それは世界の断片が崩れ落ちるのとも似ている。

 

欅坂46THE LAST LIVE、たしかに受け取った。今までの全てが、全て以上が、そこにあったと思う。終わりゆくものはこんなに儚くて、美しい。

正直2日目が始まるまでは、ああ、もうこれはお別れができない、と思っていた。意外ながら。色々なバンドやアーティストが改名、活動休止、解散してくるのを見てきた。その時のことは鮮明には覚えていないけど、たぶん悲しかった。でも今回ほどではないのかなと思った。その時はいつもアーティスト側がまた会おうと言ってくれていたから。それを約束だと勝手に信じて、大事に持っているから。しかし、"欅坂46"にはもう会えない。間違いなく戻ってこない。メンバーの話を聞いていると、きっともう楽曲をライブで届けてくれることもないだろう。

でも、欅坂46としてのライブが終わって、櫻坂46としてメンバーがステージに立った時、すっと受け入れられた感じがした。寂しいけどね。ああ、この子達はこんなに決意を固めていたのか。この子達が好きなら、名前が変わってもまた会えることの方を喜ばないといけないな。そう思った。だからまた会おう。さよなら、欅坂46

 

世界が終わる日の夜は、と冒頭に書いた。でも目が覚めたら世界は続いていた。僕だけではなく周りも共に生きていた。堂々と咲き誇ってやろう。

ふたつめを右へ行って、そこから朝をまっすぐ

9月だよ、もう。

時間は過ぎるのがどんどん早くなっていく。ずっと、自分が歳をとるのに合わせて時間が進むのが早くなっていくのかと思ってきたんだけど、世の中の人全員早くなってるって言うからたぶん本当に時間は早く進み始めたんだと思う。

僕はきっともう大人になれない。まだなれない、じゃなくて、もうなれないんだと思う。人は突然大人になる。なったことがないし、もうなれないからきっかけはわからないけれど、突如として大人になっていく。歳をとって年齢の数字が増えていくことや、セックスを初めてすることや、社会に出ること、が大人になることではない。それが基準であるなら、とっくに僕も大人のはずだった。いや、でもなんとなくわかるんだよ。

 

誰かから聞いた幸せをなぞり書きするような日々にはもううんざりしてきた。

そもそも全部が、押しつけられている気がする。普通になるという悩みも、なんとか生きていきたいという不安も、よくよく考えれば自分から手にしたものではなくて、周りに押しつけられて持っているものなのでは、と思った。両手に持てるものなんてそんなにたくさんない。余計なものは捨て置くべきだ。僕の憧れはそこにあることに気がついた。

 

ところで、心に響過ぎてしまった曲や言葉、本を教えることは自分を殺して欲しいと言うのと同義だなと思ったし、好きな本にも愛の告白に近いって書いてあった。だから教えない。チラつかせてはいるが、どれも全部書いていたり教えたりしてるわけじゃない。全く教えないのもザラにある。きっとみんなそうだと思う。

 

真夜中が寂しくて良かった、という書き出しで始まる文がある。最高だ。今日も真夜中は寂しい。

タイムマシン

人は必ず変わってしまうね。この人はこういうことをする、こういうことはしないってイメージがあっても、するしないが逆転したりする。変わってしまった以上、もう愛していたその人ではないから、もうきっと好きではいられないし、違和感を覚えながら接するしかないし、ともすれば必ずお別れになってしまう。お別れが来るのは物理的な距離が空いた時か、心理的な距離が空いた時だ。当たり前体操。僕も少しずつ変わっているだろう。僕の優しさだってだんだんと歳をとって変わっていく。

そういうわけなんだ、さよなら。

 

タイムマシンはいらないよ、というのは金井の言葉だ。君となら迷わぬ今日を毎日繰り返す気がするから、と理由づけている。本当に素晴らしい考えだ。今が一番愛おしくて、素晴らしいものだって僕も言えたらよかったのになあ。そういうものだと信じ込むには十分すぎる歌詞だったけど。今の僕は、過去に戻るとしたら迷わず今日を選ぶだろうか。非常に疑問だ。やり直せるなら、やり直したいことが多すぎる。やり直したいことがない人の方が少ないとは思うけど。でもたしかに毎日楽しい予定があれば、別に戻らなくていっかーってなるのかな。今の自分から程遠すぎ。

 

過去に戻ったら何からやり直そう。たぶん嫌いな人に嫌いってちゃんと言える人になると思う。できる限り優しく、できる限り優しくなく生きたい。そして好き勝手生きるんだ。好き勝手遊んでくれる人をしっかり見極めて、積極的に振り回して行こう。相変わらず今日も人の気持ちはわからない。ああ、良いと思われてたんだ、嫌だと思われてたんだ、がありすぎる。

ぐねぐねに曲がってた道が、少しずつまっすぐになり始めた。真っ直ぐになったら見通しが良くなるから、いつか遠くに幸せが見えたら良いな。

ふがいない

悲しいことがあったんだ〜。悲しいっていうと大袈裟すぎるのかな。

なんとなく、なんとなくだけど必要とされてないというか、こんなことで考え込むのはバカバカしいんだけどね。

新しい考え方を持とうとする時、どうしても古い考えが邪魔をしてくる。それはふっと現れることもあれば、必ず考えてしまうきっかけがあることもある。それはやっぱり昔の友達にあった時だと思う。

この間なんとーなく、大事にされてないなあって感じがした。そしてそれは雪崩のようにたくさんそういうことがあって、結局こんなもんか〜ってところに落ち着いてしまった。

自分を大切にしてくれない人とは一緒にいなくていい、というのはいまの世の中ではわりと多くの人が考えていることだが、それはなかなかに難しい。だーれもいなくなっちゃう。困っちゃうね。ひとりふたりくらいはいるか。

いや、別に寂しいだけなんだよな。この歳になってこんなことを思うと思わなかったな〜。ただ自分のことが好きという理由だけで遊んでくれる人が欲しい。なんとなくこれをするのに必要だからなんて理由で呼ばれたくない。来て欲しいからがいいな〜と思う。こんなこと思ったり書いたりすること自体が悲しいわ。

仕事とかバイトとか、そういう経済的なことは置いておいて、別のことで必要とされたいな〜。そして子どものままでいたいな〜。

 

それと、もっとカッコよく魅力的になりたい。以上。

ガラケー

今日バイトでガラケーを使った。社用携帯ってやつだ。メールを送る用事があって使った。

結論から言うとぜんっぜん文字が打てなくなってた。

初めて携帯電話を手にしたのは小学6年生だったかな。緑色のやつだったな。たしか受験のときの連絡用かなんかに無理やり買われた気がする。個人的には携帯なんていらんわと思ってたから、周りで使ってる人がいると、馬鹿みたいじゃんって思ってたな。ANNの言葉で言うとハスってた。小学生くらいの自分、嫌なやつすぎて笑える。

そこから中学に入って、携帯電話は重要な連絡ツールになってた。部活で大会に出るとき、なんかわけわからない連絡を友達とするとき。当時はワンセグでテレビを携帯で見られた。しかも、自分が持ってたのには録画機能がついてた。Perfumeのシャンデリアハウスを録画してよく学校行くときに見てたな。

昔、どうやってアドレス交換してたんだっけ。赤外線のこともあったし、なんか突然メールが来て知ったなんてこともあったな。なんて言って交換してたんだっけ。いま思えば、LINEを交換するよりもずっとハードルが高いような気がする。それでもちゃんとその波に乗っかれてたってことは、しっかりとその時代の学生をやっていられたんだなあと思う。

思えば、初めて告白したのもされたのもメールだったような気がする。初めての彼女とは全く続かなくて、音速で別れた。ちゃんとしっかり好きだった人なんてそこで終わってるような気がする。その子はもう結婚して子供が2人もいるのはまた別の話。自分はなにやってんだか。ねえ。

そう、悲しいのは昔はすごく早く文字が打てたから、絵文字はどうしようかな、顔文字はどうしようかな、デコメなんか使っちゃおうかななんて悩みながらそれなりにワクワクしながら出来ていたのに、もうそれを忘れてしまったことだ。いまはフリック入力で画面を滑るように感情が文字になっていく。昔のように何度もボタンを押して苦労して文字を出すのに比べて随分と楽になった。でも楽になってしまった分だけ軽くなってしまったんじゃないか。軽くなってしまった分、すんなりと相手に伝えられる。好きも嫌いも、すんなり伝わりすぎて後からじわじわ毒のように苦しめられる。昔も今も同じように相手に伝わるラグがあるけれど、なんとなく重さがちがうような気がする。LINEなんてすぐに返ってきてしまう。あのメールを待つ時間すら今や愛おしいよ。

昔は良かった、なんて言う人を白い目で睨んでしまうことがよくあるけれど。本当に昔は良かったと思ってしまう日が来るとは思わなかった。

でも、何度も何度もボタンを押して、新着メールを問い合わせるほど好きな人なんてもうどこにもいない。

 

思い出すたび、お別れだ。

さっそく

6月が終わるね、終わりまとめブログみたいになってきたな。

6月は何したんだっけな。バイトしてたかな。6月頭にバイトが再開して。そう考えると長かったかも。結構精力的に働いたよ。そこそこ暇だったけどね。

何もしてない時より時間が早くなって、長くなったかな。外に出るようになったし、ラーメン食うかってラーメン食べられた。人が作った酒が飲みてえって居酒屋に行った。お金を使えるようになった。まだ意欲的ではないし、去年ほど何も考えずに使わないけど。まあ来年のためさ。

昨日思ってたことがあったんだけど、忘れてしまったな。頭弱いなって思ってるよ。なんだっけな。忘れてしまうようなことは縁がないだけだよって本で読んだ。だからまあいいか。

今日思ったことは、やっぱり年齢のことなのかな。歳下と同い年みたいな流れで話すのって難しいな。嫌だと思われてなければいいな、っていう完全におじさんの悩みを抱えた。まだ若い、そして痛いと言い聞かせるんだ。

でも良く考えたら、歳上とはうまくやってる。友達みたいなテンションで。周りが優しいだけだろって思っていたけど、受け取る側、それからこちら側の考え方次第なのかな。会う時期がぼんやりしてるから、気になる。毎日顔を突き合わせるようになれば、きっと平気になるはずさ。100単位で考えたら、指で足りるほどの差なんて大したことないさ。

もう話飽きたことだけど、死ぬほどライブが飛んでる。気づけばライブを見るという感覚を忘れてしまった気がする。逆に考えれば、初めて見た感動には戻れないと思っていたことがもしかしたらリバイバルできる可能性がある。ないか。

配信ライブも結局全然見られてない。なんとなく見る気が出ない。ブロンズ発信の音と記憶力のやつも、結局手を出していない。どこかしらで何かしらのを見ようかなと思う。昔のことを思い出して、やっぱり良くねえなって言おうと思う。

それから、ガイドラインに従ったライブハウスのライブにも行ってみようと思う。なんとなく周りに気を遣って、行く勇気が出ないのだけど。どこもかしこも本当に気が向いたらだ。この時期に行っていたという経験は本当に稀有なはずだ。目の前で、という文化が新しくなっていく過程できっと活かせるはずなんだ。

足りない頭でぼんやり、ほんとうにぼんやり考えてる。うまく形にできるといいんだけどなあと思うことが多すぎ。できねえんだよな〜。

 

最終、ネガティブ。たぶん愛が足りない。

午前4時50分、そろそろおやすみ。

もうすぐ半分

5月が終わる。また終わる話かよ。じゃあ始まりの話をしよう。

 

明日から6月が始まる。きっと梅雨がまたやってきて、ジメジメっとヌメヌメっとなんとなく6月もきっと終わっていく。この状況の終わりがなかなか見えてこないように、厚い雲で覆われた空に不安になったり安心したりしながら6月は過ぎていくだろう。

6月が終われば今年も半分が終わる。きっとどんどん加速して、本当にあったのかどうかわからないまま2021年を迎えるだろう。

春フェスが、夏フェスが、ひとつ残らずできない状況のまま夏が終わる。きっとそう。もしかしたら冬フェスもできないまま、楽しい友達にも会えないまま、今年は終わっていくのかもしれない。

結局終わりの話してるじゃん。

 

6月は何が変われるだろうか。でも行動はしてみる、というかする。来年から行こうと思ってる学校の体験入学とか、AO入試とか。こんな偉そうに書いてるけど本心はめちゃくちゃ不安でビビってる。本当にびっくりするくらい。

損な性格だよな、わかる。そんな気にしない生活ならよかったのにな。韻踏んだ。ビビりながら変わっていく環境や状況を少しだけ楽しんでるよ。一生懸命自分を探すんだ。たしかにここにいる。でも深く潜ってしまっている。だから連れてこなくちゃ。そういう行動をする。

 

今年の夏のことはしっかり残念だ。いつかまた、バカみたいに暑くても笑って過ごせる夏がやってきますように。